豊臣秀吉と夏目漱石の関係について
ブログタイトルの 「秀吉は 漱石のご先祖様の家来だった?」について概要をお話しします。
1.『太閤素生記』などのいわゆる太閤記には藤吉郎(豊臣秀吉の旧名)は松下加兵衛之綱に仕えたとあります。
2.松下加兵衛之綱には娘が何人かいてその一人が夏目吉信に嫁いだとあります。
3.夏目吉信は夏目漱石の先祖だとあります。
上記1~3がすべて正しいとすると 「秀吉は漱石のご先祖様の家来だった」ことになります。
本当でしょうか?
このことはわたしはわたしの家について調べていく中で出てきた疑問でした。
このブログではこの疑問について事実検証することでわたしの家の歴史、遠州西部(地元では西遠といいます)の歴史、そして安土桃山時代以降の日本の歴史についていくらか解明できればと思っています。
6月1日は毎年「線香焚き」をします。ヤツデの葉の上に線香を立てて焚くのです。
入梅前にする厄除けだと思います。
イチジクの葉を使うところもあるようですがわたしの家ではヤツデの葉を使います。
祖母の話では大きい葉であれば良いと言ってました。
遠州地方だけの風習なのでしょうか?
ブログを始めた理由 ②
「親の顔が見たい」とは しつけの悪いよその子の言動に驚きあきれて言う事 です。
このことは 親はしつけ良いことが前提なのです。だから子供と親の顔を比較するわけです。
ところが昨今幼稚だなぁと思う親が結構います。
しつけが悪い親がいるのです。
親に限定したことではありません。大人世代でもしつけが悪い人かなりいます。
「 人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い」ができない人を良く目にします。
世間で肩書のあるような名のある人に社会性無いことが目につきます。
例えば最近では国会、国民、国を1年にわたってウソをついてきた財務省の高級官僚はしつけが悪いとしか思えません。
国、都道府県、市町村、大企業、中小企業、寺社、学校などなどいろんな場面で関わる人に目立ちます。
昔は 社長とか議員とか先生とかいえば尊敬の対象でしたが今ではそうでない人もかなりいます。
わたしは過去起きていたことを記述した歴史を改ざんしたり捏造したりすることと同じく事実や社会規範を捻じ曲げるそういった人たちが許せないのです。
人それぞれ考え方は異なります。
でもそれは事実に基づき社会規範に則って発言、行動をすることが肩書のある人には特に求められていると思います。
そして彼らが問い詰められた時、責任を取ると称して「辞任」を口にするのです。
「辞任」「退職」は責任を取ることでしょうか?
それまで勝手気ままにやっていたことへの反省とか弁済はないのでしょうか?
このブログが過去に起きた事実を探求し間違いを訂正してくれたり、事実に基づき社会規範に則って発言や行動を社会全体がしてくださるのであれば必要のないものだと思います。
そういった意味では後ろ向きのブログかもしれません。
わたしの家の庭では梅雨入り間近なこの時期クチナシの花も咲きました。
このブログはクチナシの語源といわれる「口無し」に通じるところがあるかもしれません。
ブログをはじめた理由 ①
物心ついてから祖母や父などからわたしの家のことを聞いて育ちました。
わたしは本来、家を継ぐ人ではありませんでしたので真剣に聞いていませんでした。
それが祖父が亡くなり兄が結婚して家に入ったのですが両親と折り合いが悪く家を出たのちに祖母、父と亡くなったのでわたしが家長の役割をすることになりました。
近所付き合い、親戚付き合い、お寺の付き合いをする中で家のことについて興味が出てくるようになりました。
そうしているうちに市の図書館で『小野篁と遠州小野一族』という自費出版の本を見つけたのです。
その中にはわたしの本家のことも記述されておりわたしが家で聞かされていた内容と符合していることが多かったのです。
そこでわたしは関連する図書を読み、『小野篁と遠州小野一族』で書かれていることが事実かどうか確認することを中心に家のことを調べ始めました。
著者の方を訪ね教えていただき、友人知人からも教えてもらうようになりました。
ここ10年ぐらいのことです。
家のことを次世代に伝えるのはわたしの役割です。
伝えたうえで家を継承するかどうかは次世代の判断だと思っています。
次世代が家のことを知らなくて継承するかどうかの判断をすべきで無いと思ったからです。
わたしは日中働かなくてはなりません。
家のことを精力的に調べるのは60歳を過ぎてからと思っていました。
それが昨年(2017年)のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送されることになりました。
わたしのご先祖様の1人は 小野政直 です。 政直の下の方の息子 正親 がわたしのご先祖様です。政次 の弟になります。
「おんな城主 直虎」は浜松市北区にある龍潭寺などに伝わる「井伊家伝記」を下敷きに脚本が作られることは想像していました。
「井伊家伝記」では 小野政直、政次親子 は井伊家を陥れた悪者です。
どなたもそうでしょうが自分のご先祖様が悪者扱いされるのに良い気分にならないと思います。大河ドラマを一年間拝聴して「井伊家伝記」に書かれている内容とはかなり違う内容だったことに安堵しました。
しかし本当の歴史はどうだったのでしょうか?
井伊直虎が女性でなく男性だったというお話も出たりしています。
大河ドラマで明らかに間違っていることも相当ありました。
わたしが危惧しているのは大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送されてドラマの内容が史実だと思う方が多くなっているように思っているからです。
NHKは大河ドラマはあくまでもドラマで創作物だとおっしゃっているようですが…。
「おんな城主 直虎」の放送に合わせて作家さんや歴史家の方が書かれた書籍も発行されてその中の何点かも読みました。
その多くは「井伊家伝記」から推測されていることや発展的に書かれたことが多いと思いました。
それだけ戦国時代までの井伊家の資料が少ないのでしょうけど誤りも多いのです。
小野家の出自について根拠を示さないことを大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代考証を担当された歴史家の方が書かれているのには大変驚きました。
わたしの出自に関する見解はその方の書かれたこととは全く異なっていたのです。
(わたしの見解は別途記事にするつもりです)
歴史家の方の見解を引用されている書籍もあったのです。
わたしがどうしても不思議で譲れないのは井伊家のことや小野家のことをわたしの一族に問い合わせした形跡が全く無いのです。
わたしの大本家には(やはり時代考証を担当された小和田哲男先生の著作にも出ていますが)井伊家の系図などが残っているようです。
つまり歴史家といえども真実を追求していないと思えたのです。
2000年11月に発覚した「旧石器捏造事件」があった後も歴史家の方たちの姿勢はあまり変わっていないのだと思ったのです。
事実に基づいて発言や行動してほしいって思っています。
事実を求めて行動してほしいのです。
事実かどうかわからないときはわからないというべきだと思います。
わからないのも事実だと思うのです。
「旧石器捏造事件」のように自分勝手に歴史を作ってはいけません。
根拠がないことは「仮説」とか「自説」と断るべきだと思います。
間違ったと認識したら「訂正」すべきだと思います。
現代人で戦国時代に生きた人はいません。資料がなくてわからなかったり間違ったりするのは当たり前なのですから。
わたしも「井の中の蛙」にならないようにしたいです。
写真はわたしの家の畑にある枯れた井戸の中です。
昨日朝撮影しました。
カエルが3匹いると思います。可哀そうですが写っているカエルは外には出られません。
自己紹介 ①
自己紹介内容に先立って申し上げます。
わたしの素性はこのブログが今後わたしが思うような状況が進む中で読者のみなさんにお伝えしたいと思います。
そのため自己紹介の初回という意味で ① をつけさせていただきました。
このブログの記事を書き進むとわたしが特定されることになると思います。
今回は自己紹介のイントロダクションになると思います。
このブログでのわたしの名前は inkyoya 漢字で書くと 隠居家 です。
それはわたしが隠居家の家長にあたることをしているからです。
わたしの家は曽祖父が本家から明治後期に隠居しました。
その後、本家から分家する形で独立しました。
本家とわたしの家は 本田 といいます。 ほんでん とひらがな読みします。
したがって正確に言えばわたしの家は 本田の隠居家 といいます。
本田は姓ではありません。
本田という言い方はわたしの住む地域やわたしの一族でしか元々通用しません。
たまに本田という言い方を屋号と思われる方もおられますが明治以降屋号にも使用したのであって本来は屋号ではありません。
わたしの町内(江戸時代の村に相当)では本田の他には 本屋敷 と 松屋敷 があります。
わたしの住む地方のわたしの一族には 下所 鐘鋳場 西村 若宮 山神 などがあります。
このことは別の記事で書こうと思います。
わたしの姓は 小野 です。
(わたしが一方的に呼んでいる)宗家に伝わるお話しでは小野篁の子孫となっています。
宗家は篁の長子 俊生 が起こした家といわれています。
このことも別の記事で書こうと思います。
町名は様子を見て今後明かすつもりです。
年齢は今年還暦になります。
今後記事ごとにできるだけ画像を掲載するつもりです。
記事に関係する画像またはわたしの家の敷地か土地の花木や風景の写真が多いと思います。
今日の写真は庭で色づき始めた アジサイ です。
はじめまして
年寄りになってきたからなんでしょうか?
自分勝手なことする人のことが気になるようになってきました。
未来社会を憂いています。
はっきり言って 不安 です。
世間で肩書のあるような名のある人や名のある組織の不用意な発言や行動を受け入れなくなっているんです。
信頼できない。将来どころか今の社会も委ねたくないって思います。
どんな発言でも行動でもいろんな事実があり、その事実があることを理解してすることだと思います。
人の意見は多種多様です。
それを否定するつもりはありません。
ただ事実についての解釈や人それぞれの思いで意見は違うのです。
意見の根拠となる事象を確認することなく思い込みや自分の都合で発言や行動はあってはならないと思うのです。
空想やねつ造に基づいた発言や行動の責任を取れる人や組織ってあるのでしょうか?
わたしは無いと思います。
世相や歴史を鑑みてそれが事実に基づいてされているか?を問いたいと思います。
このブログでは事実、統計的データに基づいてわたしの考えや思いを読者のみなさんに問いたいと思います。
事実、統計的データにから想像する未来社会についてもここで発表したいと思います。
わたしも人の子です。間違いもするし失敗もします。
事実や統計データに誤りがあったり活用の仕方が違っていましたらご指摘をお願いします。
ご指摘いただいたことに対して真摯に対応したいと思っています。
ブログのタイトルは歴史ブログを思わせますがテーマを歴史に固定するつもりはありません。歴史についての記事が多くなるとは思いますけれど。
今後の記事の中でこのタイトルにしたことがご理解いただければと思っていますがわたしのルーツに関係していると思われるということがこのタイトルにした理由です。
このブログの記事について新たな情報が読者のみなさんから寄せられてわたしやわたしの縁戚の人たちのルーツが明らかになっていけばいいなと思っています。
人と人が共存できる社会のあるべき姿を探したいと思います。
読者のみなさんのご意見をお待ちしています。
よろしくお願いします。
2018/5/29追記
上述のことの他、わたしがこうあって欲しいなどと思うことを披露するつもりです。
こちらについてもご意見をいただけたらって思います。
もしわたしが他人を誹謗中傷するようなことがありましたらご指摘いただければと思います。
真摯に対応したいと思います。